1428年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1400年代 1410年代 1420年代 1430年代 1440年代 |
年: | 1425年 1426年 1427年 1428年 1429年 1430年 1431年 |
1428年(1428 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
カレンダー
- 1428年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
- 後黎朝の成立(属明期終わる)
日本
- この年は前年の大雨などの影響で、日本全国で大飢饉となった。特に鎌倉では2万人の餓死者が出たと『神明鏡』に記されている[1]。
- 2月3日(応永35年1月18日) - 元将軍・足利義持が死去
- 2月4日(応永35年1月19日) - 石清水八幡宮の神前で行われたくじ引きの結果、義円(のちの足利義教)が将軍後嗣と決まる。
- 3月 - 足利義持の弟・青蓮院義円が還俗して足利義宣と名乗る。
- 6月10日(応永35年4月27日) - 改元して正長元年となる。
- 旧暦8月 - 9月 - 正長の土一揆。
- 8月 - 伊勢国の北畠満雅が小倉宮を擁して挙兵する。
- 12月 - 北畠満雅が足利義宣の命令を受けた土岐持頼に討伐されて敗死し、小倉宮は帰京する。
誕生
「Category:1428年生」も参照
- 6月2日(応永35年4月19日) - 朝倉孝景、室町時代の武将、朝倉氏の第7代当主(+ 1481年)
- 9月22日(宣徳3年8月13日) - 景泰帝[要出典]、明の第7代皇帝(+ 1457年)
- 10月17日(正長元年9月9日) - 万里集九、室町時代の禅僧、歌人(+ 没年不詳)
- 11月2日 - ヨランド・ダンジュー、ロレーヌ女公、バル女公(+ 1483年)
- 11月22日 - リチャード・ネヴィル、イングランドの貴族、ウォリック伯、ソールズベリー伯(+ 1471年)
- イサベル・デ・ポルトゥガル、カスティーリャ=レオン王フアン2世の2番目の王妃(+ 1496年)
- 吉川経基、室町時代、戦国時代の武将(+ 1520年)
死去
「Category:1428年没」も参照
- 1月4日 - フリードリヒ1世、マイセン辺境伯、ザクセン選帝侯(* 1370年)
- 2月3日(応永35年1月18日) - 足利義持、室町幕府第4代将軍(* 1386年)
- 6月6日(応永35年4月23日) - 徳大寺実盛、室町時代の公卿(* 1400年)
- 6月8日(応永35年4月25日) - 吉良朝氏、室町時代の武将(* 生年不詳)
- 7月31日(正長元年6月19日) - 徳大寺公俊、室町時代の公卿(* 1371年)
- 8月18日(正長元年7月8日) - 今出川実富、室町時代の公卿(* 生年不詳)
- 8月30日(正長元年7月20日) - 称光天皇、第101代天皇(* 1401年[2])
- 9月17日(正長元年8月8日) - 那須資之、室町時代の武将、那須氏の第12代当主(* 生年不詳)
- 11月3日 - トマス・モンタキュート、イングランドの貴族、ソールズベリー伯(* 1388年)
- マサッチオ、ルネサンス期のイタリアの画家(* 1401年)
脚注
[脚注の使い方]
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1428年に関連するカテゴリがあります。